前みんなの党永沼ひろゆき

略歴

生年月日 1968年(昭和43年)7月7日生まれ 46歳
学歴 行田市立中央小学校
行田市立行田中学校
早稲田大学本庄高等学院
早稲田大学政治経済学部
役職 会社役員・一般財団法人理事・愛宕会前会長・地区体協役員・社会福祉法人評議員
政治経験 2003年 行田市議会議員に初当選
2007年 行田市長選に挑戦するも次点にて惜敗
自治体向けに教育施策のアドバイザーとして全国を飛び回る
2010年 みんなの党埼玉県第12区支部支部長就任
2012年 第46回衆議院総選挙北関東ブロックにて次点
2013年 みんなの党埼玉県支部代表代行就任
2014年 みんなの党埼玉県総支部幹事長就任
現在に至る
著書

「親学」の教科書(PHP研究所・共著)

「親学」アドバイザーの手引き(PHP研究所・共著)

思い出写真館

1968年7月7日 行田市内の産科医院にて誕生。体重3200gの元気な赤ちゃんでした。父は薬剤師で昭和9年に祖父が創業した薬局を継いでいました。


母は慶應義塾病院に勤務していながら、商店に嫁いだ苦労人。それほど父に魅力があったのかは現在も調査続行中。


父方の祖父の祖先は江戸時代より船運業を営み、米等を利根川で旧中条村から、上野(群馬)、江戸まで運んでいたといいます。
父方の祖父は坂東武者の漆原氏で、鎌倉幕府の御家人です。
母方は江戸時代狭山茶を最初に作付けした2軒のうちの1軒であったらしいです。
1970年春

大阪万国博覧会に祖母、母に連れて行ってもらう。満2歳になってないにもかかわらず、会場の地図を見てパビリオンや自分たちの位置関係を把握できたらしい。

1971年 7月 満3歳 弟の初山(はつやま)の際に撮影。
行田市埼玉(さきたま)地区の前玉(さきたま)神社に参った後、丸墓山古墳の前にて
1972年 春 幼稚園に入学するが、教室に入るのがイヤでいつまでも廊下で泣いていた弱虫でした。
1975年 行田市立中央小学校に入学
1981年 小学校6年生のとき。市内駅伝大会に出場し、2位入賞。1位とのチームとは0.2秒差でした。生徒会長も務める。
1981年 4月 行田市立行田中学校へ入学
1983年 行田中学校3年生
軟式テニスで県大会出場。生徒会長も務める。
全国簡易保険作文コンクールで簡易保険局長賞を受賞。
模試試験で全国一位になるなど、文武両面で最も充実していた頃でした。
1984年~ 美しい自然環境に魅せられ、早稲田大学本庄高等学院へ進学。
大学受験勉強とは無縁の世界で伸び伸びと過ごす。
得意科目は、英語、歴史、体育、美術、苦手は数学
1985年 7月 アメリカを約2週間一人旅する。異文化を体験することで、日本人としてのアイデンティティ、日本文化の貴さに気付くことになる。
吉田信解本庄市長は同じ体操部の一学年上でした。
1986年 10月 修学旅行で北京に。交流先の北京大学附属中学の友人たちは、この3年後、天安門事件に巻き込まれることになる。
このときの中国政府への不信感は、今も残っています。
1987年1月 卒業論文『 明治・大正・昭和前期のインテリゲンチアの思想について 』
1987年 4月 早稲田大学政治経済学部経済学科入学
時あたかもバブル経済全盛期を迎え、将来に何の不安もなく、
経済学の勉学に励み、しだいに金融・会計分野を得意とするようになる。
当時取引が始まったばかりの株式先物やオプションのポジションを作ったりしていました。
1989年~ 公認会計士を目指して勉強に取り組み始め、会計知識を身につける。
しかし、父がガン(悪性リンパ腫)であることが発覚。弟、妹が浪人、高校生であったことから家業を手伝うことに。父は数年の闘病を経て快癒。
家業の薬局店を、ドラッグストア形態に発展させる中で消費者の視点を学ぶ。地域の方々とともに生きることの重要さを再認識。
銀行との交渉からマーケティングまでを一人でこなし、経営者としての経験を積む。
2003年 地元である行田市の市町村合併の際、当時の市政に疑問を感じ、自ら出馬する決意を固める。
行田市議会議員当選
2007年 行田市長選に挑戦するも次点にて惜敗
  自治体向けに教育施策のアドバイザーとして全国を飛び回る
2010年 みんなの党 埼玉県第12支部長就任
2012年
映画「のぼうの城」にエキストラ出演
2012年12月16日 第46回衆議院議員選挙(埼玉12区)にて35500票を賜るも惜敗(比例北関東ブロックにて次点)
2013年3月30日 みんなの党埼玉県支部代表代行就任